文と写真/石亀泰郎 |
去年の秋、赤トンボの墓場を新潟で見たという友人の話を聞いてから、トンボ狂いになってしまった。数え切れないほどのトンボが身体を寄せ合って死んでいるという。トンボ好きのぼくはすぐ新潟にとんでいった。
いる。いる。いろんなトンボがいる。すぐ1カ月間部屋を借りて、毎朝、昼、夕暮れ時と小川の畔のトンボの住み家を訪ねて歩く毎日になってしまった。トンボは子どものように明るい心を持っているが、寂しがり家だった。日中は、あんなに高い木のてっぺんで辺りをみまわし孤独を愛しているのに、夕方になると、みんななんとなく集まり始める。そして手と手を、いや羽根と羽根を重ねたり、向かい合って顔と顔をくっつけて話をしたりしてとても楽しそうだ。しかし、秋が深まってくると棘のついた草木に掴まってしまうことも多くなる。
必ず仲間がやってきて助けようとする。一匹でだめだと二匹、三匹とやって来る。でも助けようもない。網をはって待ちかまえた蜘蛛に掴まってしまうトンボも多い。朝になると、寒さに耐えられなかったトンボが肩を寄せ合ったままの姿で死んでいる。小川の畔は、まるで生きているような姿のトンボの死骸が増えてくるのだった。
ぼくはいま、引き伸ばした写真を机に並べては、トンボの暮らしの楽しさや、その楽しい仲間がいなくなった時の寂しさを子どもたちにどのように伝えようかと、編集者と相談をしているところなのだ。
|