文と写真/石亀泰郎 |
1900年に創立された二葉保育園の乳児院は建て替えのため取り壊され、もうすっかり姿を消した。子どもたちは別の場所で保育されているから今はだれもいない。ぼくは毎日建物が消えていく様子を眺め続けていた。辺りは昔「四谷鮫が橋」と呼ばれた東京有数の貧困地区だった。東宮御所や迎賓館の近くだが、低地で沼沢地だったので東京湾まで水が続いていたという。地名の由来は鮫が迷い込みつかまったからだそうだ。亀だって迷い込む。
ぼくが迷い込んだのは、一人の保母が一本の綱に四、五人のよちよち歩きをつかまらせ散歩している姿を見たからだ。ついて歩いたらこの乳児院の子どもたちだった。翌日ぼくは自分の年子の子どもを撮った初めての写真集を持って、しばらく乳児院の子どもたちの生活を撮らせて貰えないかと院長の梅森公代さんにお願いしたのだった。
それからもう三十年経っている。その間に三冊の写真集とエッセー集をまとめた。 もう一人、この土地を通りかかって人生が決まった人がいる。日本の福祉の祖といわれる徳永恕さんだ。
徳永さんは十七歳のとき偶然ここを通って一本の杭を見つけた。「私立二葉幼稚園建設敷地」と書いてあり「目のまえがぱっと明るくなった」という。天啓を受けたというのだろうか。学校を卒業して二葉保育園の保母になり、八十五歳で亡くなるまで貧しい子どもたちに自ら捕らわれの身となったのだった。来年の七月には三階建ての新しい建物がお目見えする。
|