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Profile

日本写真家協会会員
1934 旧朝鮮で生まれ小学5年の時日本の敗戦で引き揚げる。引き揚げて2年後、叔父夫婦の養子になり北海道へ。
1958 日本大学芸術学部写真学科卒業。2年後フリーに。


◆東京創元社の育児雑誌『こども部屋』を100号まで担当したのが、フリーになってから最初の仕事でした。

◆写真集として初めて出版されたのが、ぼくの年子の子どもの心の成長を記録した『ふたりっ子バンザイ』です。この写真集で賞を貰ったり、新聞の連載や雑誌の連載を受け持つようになったので、ようやくフリーで食べていけるかも知れないと喜んだのでした。でも世の中、そうは甘くはなかったのでしたが・・。

◆その写真集の序文を書いていただいたのが、松田道雄先生でした。それ以来1998年に先生が亡くなるまで、子どもの問題に限らず、人生についての教えをいただきました。先生からいただいた最後のお手紙は『定本「育児の百科」』の写真を全て取り替えしてほしい』というお便りでした。先生が亡くなる5日前のことでした。

◆ぼくの心に沁みた「こころの書」は『自由を子どもに』松田道雄著。『園芸家12カ月』 カレル・チャペック著。『秋風と二人の男』庄野潤三著。『花森安治の仕事』酒井 寛著です。
心の沁み具合ついては《わたの心の書》朝日選書553号に書きました。

◆ぼくの仕事は子どもに関することばかりですが、写真集とエッセイ集があります。エッセイ集には子ど向けに書いた《ぼくには故郷というものがない》や、家庭で育てられない子どものことを書いた《かあさんのにおい》があります。

◆長期取材した写真集としては《やあ 小さな仲間たち》のように世界の子どもを撮ったシリーズ(朝日新聞日曜版に325回連載)や、日本の子どもを30年間撮り続け、3冊の写真集になった乳児院のシリーズがあります。写真集には数点の写真絵本が含まれています。
 
◆ぼくが一番通った酒場は、詩人・草野心平さんの酒場「学校」でした。心平さんが亡くなって閉校式をした時、心平さん手書きの看板を貰った優等生だったのです。その看板は、今も、ぼくの山小屋で灯をともし続けています。

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★作品につきましては《著書》のコーナーに詳しく載せてありますのでご覧ください。